母が進行性核上性麻痺(仮)→大脳皮質基底核変性症(仮)になった

1960年生まれの母が突然難病を発症してからの記録

私が気付いた病気の最初の兆候

初めて、母の様子がおかしいと気付いたのは今から1年と少し前の2017年2月、母の念願のフロリダディズニーに親子で旅行に行っていたときだった。

 

英語が苦手な母はツアーや友人グループとしか海外旅行したことがなくて、語学をやっていた私に通訳をしてもらって、2人で自由旅行するのが夢だったらしい。一緒に行きたいと行っていた旅行先は、ハワイ、オーロラの見えるところ、あと、ディズニーワールド。ハワイは年をとっても行けそうだから、まずはフロリダだね、ということで比較的空いていると思われる2月に決行。

 

3つのホテルを梯子して、4つのパークを順に回って、ディズニースプリングス(在りし日のダウンタウンディズニー…)もホテル付属プールも楽しんで…と満喫していた。絶賛冬季うつで昼過ぎにはへたばってしまう体力のない私を尻目に、夕ご飯のときもホテルに戻ってからも疲れも見せず平然としていた。

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まだこの時は笑顔がある。健常者と何ら変わらない母

 

何日目かの朝、いつものようにホテルのフードコートのレジに並んでいたが、なんだか母が財布を出す動作が遅い。カバンのファスナーを開けて、財布を取り出して、財布のファスナーを開けて、お金を取り出して…という動作のひとつひとつが全部、異常に遅い。慣れない海外の硬貨や紙幣、どれを選んだらいいのか戸惑っている…ということを差し引いても、あまりにも遅すぎる

遅いというのは、体が自由に動かないとか、途中で止まってしまうとか、お金を選ぶ段階でまごついているとか、そういうことではなく、すべての動作をスローモーションにした感じ

しかも、本人は自分の動きがスローモーションになっていることに気づいていない

動作がスローモーションであること以外は、普段と何一つ変わらない様子、といったら想像しやすいのだろうか。

 

結局私がお金を取り出すのを手伝って支払ったけれど、それが後々こんな病気に繋がる予兆だとは思ってもいなかった。

 

後で家族の他のメンバーに聞くと、皆、同じような時期に同じような症状に気付いたらしい。動作が異常に遅い、ということ。

 

今思い返すと、身体症状以外にも、認知症状の前兆のようなものがあった気もする。

 

とにかく何を提案しても私任せ、何を聞いてもYESマンのような状態だった。

「自分はこのアトラクションに乗りたい」「自分はこれが食べたい」「疲れたからそろそろ帰りたい/まだ余裕があるから遊んでいたい」といったような意思表示が、以前はもう少しあったような…

何を聞いても「ゆみちゃんの好きなようにしていいよ」

お土産に関しても、買うものといったら

1.職場のディズニー好きの同僚からの特定のリクエス

2.当時母が首ったけになっていた、ジムのインストラクターへのお土産

くらい。

2に関しては、インストラクターの方のイニシャルが入ったものや、名前が入れられるお土産を毎日探していた。

 

パーク内で印象的だったのは、毎日、名前入りのTシャツを着た家族に出会うこと。名前というか、家族内での立ち位置?(写真参照)

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その名前入りオリジナルTシャツをジムのインストラクターさんに買って帰ってあげたい母に頼まれて、私がショップのキャストさんに入手場所を聞きに行ったら

「あれはパークのグッズではなく、みなさん個人でオリジナルTシャツメーカーに注文して作っているみたいなんです」

とのこと。さすがの母も諦めて、インストラクターさんのイニシャルキーホルダーを買っていた(はず)。

 

話がずれたけれど、とにかく、動作が異常に遅い、自分の意思を持たず以前よりふわふわしている、そんな感じがしていた。

そういえば、往路の空港でも大事件があったんだけど、またそれは別の記事にします。