母が進行性核上性麻痺(仮)→大脳皮質基底核変性症(仮)になった

1960年生まれの母が突然難病を発症してからの記録

大学病院へセカンドオピニオンをもらいに

セカンドオピニオンをもらおうと、11月に別の病院に行ってきた。地元から車で高速道路に乗って1時間くらいの、大学病院。

この大学病院は以前にもセカンドオピニオン目的でかかったことがあったけど、今回は、その時とは別の先生に診てもらった。

 

結果、すごく収穫があった。

しかも、進行性核上性麻痺ではないかもしれない疑惑が浮上。

 

先生は診察中にMRIの予約をその場で取ってくれて、血液検査とMRI検査をして、そのあと再び診察をしてくれた。

 

脳の委縮が前回より進んでいることが画像から顕著になっていて、認知機能や身体機能の低下は無理もないでしょう、とのこと。

 

この先生はすごく親身になってくれて、今の医学や検査結果、先生の知識で分かることや分からないことをはっきりと伝えてくれた。分からない部分については、今後どうしていこうか提案してくれた。

今回の結果だけでは分からないけれど、治療可能な病気が隠れている可能性がある限りそれを探していこう、とのことで、さらに詳細な検査をいろいろとしてもらえる「検査入院」を提案してもらえた。早速、その場でお願いをして、今は病院からの空き連絡を待っているところ。

 

車椅子の母の脚を取って「ジストニア」という現象(症状)が進行していること、脚が固まったままどんどん動かせなくなっていることを説明してくれた。寝るときは足を曲げて固まったまま動かせないけれど、眠った後は膠着状態が解けるので、伸ばして寝かせてあげるといいこともアドバイスしてくれた。実際その通りで、以前は足の裏を床にしっかりつけて立たせた状態で介助者が体重を支えながら歯磨きをしたりおむつ替えをしたりできていたけど、今は膝が曲がってつま先立ちの状態で固まってしまっている

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車椅子の足乗せからもすぐにずり落ちてしまうし、体全体も、車椅子に座った状態からずるずるとずり落ちてきてしまう。

 

認知症状についても、かなり落ちているでしょう、とのこと。複雑なことは分からないし、自分の状況もあまりよく分かっていないだろうから、それが却って救いかもしれない、とのこと。

確かに、母が自分の携帯で警察を家に呼んでしまって(確か)大騒ぎになったというときは、自分のことを「27歳」、「夫に殴られた」と言っていたらしいし、病気の初期のころ、まだコミュニケーションが普通に取れた頃から、深刻に受け止めてる感じは全然なかった。病気のことも、「全然分からないねぇ」とか私との会話の中で言い合っていたし、私は私自身に、そうやって言いながら、わざと深刻に考えたり追い詰められたりしないように暗示をかけていた

母が自分のことを27歳と名乗ったあの騒動、27歳というのはちょうど私の年齢だったし、母が昔殴られたりしていたことは事実なので、母の発言を父親から伝え聞いて愕然としたし、きっと母の中で何か関連してるんだと思って、母は昔に戻っているのかと思って悲しくなった。

 

だから認知機能が落ちまくっていてボケボケになっているのは分かる。でも、ついこの間まで、かすかにリアクションが取れていた頃は、何か複雑な文章を言っても理解している風だったので、私はそれを信じて、今まで通り話しかけようと思う。

私が拠点を地元に移そうと思っている、と母に伝えた時も、そのあと数日、食べ物の飲み込みや表情でのリアクションが良くなった気がするんだ。この間帰省した時も、なんだか若返って見えたし。髪が少し伸びたせいもあるかもしれないけど。

 

話は戻って、その先生は、病名について、進行性核上性麻痺にしてはあまりにも進行が早すぎることを述べ、病状から大脳皮質基底核変性症」の可能性も一瞬浮上したがそれも打ち消されたことを述べた。

これで、母の病気の疑いが、多系統委縮症→進行性核上性麻痺(→大脳皮質基底核変性症)→イマココ

という変遷を辿ってきたことになった。