母が進行性核上性麻痺(仮)→大脳皮質基底核変性症(仮)になった

1960年生まれの母が突然難病を発症してからの記録

介護は終わりのない作業

安易に比較するのもよくないと思うのだけど、育児と違って、介護には終わりがない、

というのは、もちろん育児にも「これ」という終わりがないのだけど、介護は、やってもやっても前進がないというか、世話をしてまた汚れ、世話をしては汚れ、というだけで、達成感も成長もない。

それに徒労感を覚えることが常で、その徒労感を分かっているから、痰の吸引などの世話をしないといけないのに、体が、脳が、拒否している感覚がある、いつまでたっても体が動かない。

 

例えば、痰の吸引をしても、全部痰が取れる訳ではない。痰が引っかかるガラガラという音が呼吸に合わせてしてきて、痰の吸引をしても、その直後からまたその音が聞こえてくることもある。チューブを消毒して片付けても、直後にそのようになると、徒労感や無力感だけが重なっていく。本人もガラガラいって気持ち悪いだろう、つらいだろう、でも、私は、体が動かない、そんなときも多々ある。

 

おむつも、少し替えないと、臭いの原因になる。
看護師さんによると、健常者よりも自浄作用が落ちてしまっているそうで、不衛生になったり臭いが発生するまでの時間が短い。それでも、お尻を洗う専用の石鹸で洗浄液を作って、布団に洗浄液がこぼれないようにお尻を洗って、おむつを替えて、(この一連のことが、脚の拘縮との格闘。常に石のように固く固く曲げられた脚を、頭やおでこも使って支えながら、両手を使って行う。)そういうことは、かなりの作業量だ。それを考えると、体が動かない。全身が拒否している。

 

歯も、すぐに汚れがついてしまう。歯の表面や歯の間に、汚れがたまる。健常者のように、唇を閉じて、唇の水分量を保っておくことができないので、唇は常に乾燥して取れかかった皮が中途半端にひっついている。それが唾液で湿ってベタッとついていることもある。歯は、イソジンうがい薬を薄めた水に歯ブラシをつけて磨くのだけど、母は、自分の意思で口を開け閉めすることができなくて、基本的に、口を堅く閉じてしまっている。だから、ほとんどの場合、歯の表面と、表面から届く歯間しか磨くことができない。歯磨きをしようとすると、本人も頑張って口を開けてくれようとするのだけど、口が勝手に閉じてしまい、自分の意思で口を開け続けることができない。うまく回避しないと、歯ブラシが歯に挟まれて、抜けなくなってしまう。そのように、歯をしっかりと磨くことができない、ということも、徒労感に繋がる。本人も、口腔内を完全に綺麗にすることができなくて、どれだけ気持ち悪い思いをしているだろう、といつも考えてしまって、それもやるせなさを増す。

 

目にも、健常者よりも目やにがたまりやすいようだ。目からいつも目やにが伸びている。これもやっかいで、体の拘縮と同じで、顔にも常に力が入ってしかめっ面のようになっていて、目もぎゅっとつぶっているので、目やにを取り除こうとしても、ほとんどの場合、取れない。

 

母は、意思疎通ができないので、それらの作業をしても、「たぶんいくらかスッキリしたと感じているだろうな」「感謝してくれているだろうな」と、想像をするしかない。

 

そんな風に、介護は、終わりがなくて、でもその割に、自分が励まされるモチベーションになることがなくて、そんな介護を、介護士さん看護師さんにほとんどやらせてしまっている状態も、私は耐えがたく、あまりに申し訳なく、そんなモヤモヤが一番、私を苦しめている。

 

いつまで続くのか分からない、たぶん母は思考も感情も残っている。でも、母を無理に生かすのではない道を選ぶのならば、それは、死あるのみだった。そんなこと、できる訳がなかった。

 

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相続や手続きにおいて、親子間や夫婦間に強大なパワーが持たされすぎている話

じいちゃんが死に、ばあちゃんは介護施設に入ったので、色々と手続きがあるけれど、相続や手続きにおいて、親子間や夫婦間に強大なパワーが持たされすぎていると感じることがよくある。

例えば、車。じいちゃんは前々から、車を孫である私に譲ってくれていて、実質使用者は私だけど、名義はじいちゃんになっていた。

それを私の名義に変えたいというときに、車販売店に相談すると、孫である私よりも息子である父親の名義に変える方が手続きがしやすいとのことで、父親の名義に変えることにした。

 

そして、ばあちゃんの手続き。施設に引っ越す前に入院していた病院でコロナ感染して治ったのだけど、その治療費の補助が県から出るという。そこで本人の書類を役所に取りに行ったのだけど、そこでもやっぱり、本人直筆でなくても、親子間であれば(施設に入っているので)代筆可能というような書類があった。これは孫だったらダメだったのかもしれない。

 

父親は、そのようなゴチャゴチャした書類の手続きが苦手なので私が付き添っているけど、本当に面倒くさい。孫にもっと大きな権限が与えられていたらこんなめんどくさいことをいちいちせずに済んだんではないか。

 

これで父親が難病なり死去なりでいなかったら、どれほどめんどくさいことになっていたんだろう。

 

親子間、異性の夫婦間の繋がりに強大なパワーを持たせて、それ以外を排除したり軽んじたりする制度は、誰のためにもならない。

 

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もう一度耳鼻咽喉科医と介護師に確認

気管切開について、父親が、「夜中に数時間おきに起きないといけなくなったらどうしようか」「知らない間に痰でいっぱいになってしまって死んでしまったらどうしようか」と心配し始めた。

いつもこうだ。後になってから騒ぎ始める。

でも、普段はほぼ全面的に母の世話をさせているし、夜中に数時間おきに起きるはめになったときに一番負担がかかるのが父親なので、私は何も言う資格はないし、その心配に付き合うしかない。

ということで、父親が耳鼻咽喉科の医師にもう一度予約を取り、介護施設の方たちとも話し合いの機会を設け、私は(なぜか)それに巻き込まれることになってしまった。

私はそこまで心配はしていなかった。母のゼイゼイ言っているのを10分でも聞いているだけでも気が狂いそうになるし、気管切開をすることで、痰が簡単に取れるようになるのなら母も苦しいのから解放される、かつ、医師も、うまくいかなかったら戻せばいいと言っていたので、やらない理由がないという気持ちではあった。そして、何かあったときに死んでしまったらというのは、もうそうなったら仕方がないことだし、あれだけ母と事実上離婚状態だった父親がなぜそこまで過保護に心配するのか、私には理解できない。

耳鼻咽喉科の医師と、介護施設の方々と話し合いをし(私は朝から巻き込まれ瀕死状態)、

・痰吸引は基本的に楽になる見込み
・痰吸引などの頻度は一度やってみないとなんとも言えないし、不具合が多くて塞ぐことになるかどうかも、個人差があるのでなんとも言えない。そのために術後2週間の入院期間を設けている
・夜中に気づいたら死んでいるということはまずないと思う

という感じだったので、安心した様子で、このまま手術に踏み切ることにした。

今日も、喉のガラガラの音が酷い。

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介護タクシー

介護タクシーには、以前一度世話になった。

大きな車で、運転席よりも後ろの空間が大きく取ってあって、人が車椅子に乗ったまま乗り込めるようになっている。

車の後ろのところを開けて、上下するステージみたいなものがあって、そこに車いすを載せる。そうして、専用のシートベルトで車椅子を固定し、足元にあるフック付きのワイヤーのようなものでも、車いすを固定する。そうして、ステージを上に上げて、そこからスムーズに車の中に入れてもらえる。

介助者は、隣に通常の座席が設置してあって、並んで乗れるようになっていた。

 

今回、精神的身体的に、母の午前中の通院のために、ベッド⇔車いす車いす⇔車、車⇔病院の車いすの母の移動、プラス、家から出る時に即席のスロープのようなものを設置したり片づけたりする、プラス、この時期なので、群がってくる蚊を撒く、(プラス、母の喉のガラガラ音が最近は常にあるので、その音を横で聞きながら気が狂いそうになりながら運転、プラス、車の中に蚊が入ってきた場合は空間用殺虫剤をプシュッとやる、プラス……)のようなことをやり遂げる自信がなく、介護タクシーをお願いすることにした。

元気な時ならなんてことないけど、今は、考えるだけでつらく、無理だった。

詳しくは前回の記事参照。

neurodegenerative-disease.hatenablog.com

介護タクシーは検索すると色々と出てくる。個人でやっているところも多いみたいで、いついつの何時頃は空いてますかと聞いて何軒か電話をかけてみた。

住所と名前、駐車場所を伝える。

ありがたいことに、お願いすると、家の中に入ってきて、ベッドから車いすに移すのを手伝ってくれるサービスも込みとのこと。(患者の体格にもよるみたいだけど。)

 

家から病院の往路はそのような感じで、病院からの復路は、時間が読めないということもあるので、どうすればいいですかと聞くと、他の予約などがあると動けないけれど、電話を入れて待っていてくれたら、順番に迎えに行きますとのこと。ありがたい。

 

今日、朝の9時30分から母の手術事前検査があったので(幸運なことに、前回の検査で検出された細菌感染などはなかったので、手術は予定通りできそう)、朝から介護タクシーにお世話になった。私は朝フラフラで笑顔を作る余力もなく、ヘロヘロした話し方しかできなかったのが本当に申し訳なかったけれど、タクシーの方は要領が分かっていてテキパキと助けてくださり、車内のエアコンの調子も気にかけてくれて、涙が出るほどありがたかった。

病院からの復路もとてもスムーズ。病院のロビーで待っていてくださいねとのことで、ロビーまで迎えに来てくださった。

 

病院の待合室での時間も、母は、喉のガラガラ音が出ている。音量が大きくなったり小さくなったりはあるけれど、すぐ隣についていてあげたいけれど、前回、そうしたら、気が狂いそうになってしまったので、今日は少し離れたところに母の乗った車椅子を置いて、私は少し離れた椅子に座って待っていた。

申し訳ない。母に申し訳なくてそれだけでもつらくなる。

でも色々と天秤にかけた結果、今日は気が狂わないためにそうするしかなかった。

手術日フェイント

先日、気管切開に踏み切ることを報告する記事を書いたのだけど、

 

neurodegenerative-disease.hatenablog.com

 

神経内科の医師と相談して、手術実施日がこの日です、という意味だと思って病院に行った日は、なんと手術実施日でもなんでもなく、事前の診察+検査日だった。

担当は耳鼻咽喉科なのだけど、私と父親は「さあこれで、本人も呼吸が楽になるし、家族もガラガラ声に悩まされることがなくなる」と勇んで、診察室に入ったけど、どうにも「今日、手術します」という調子ではない。

おかしいなと思って聞いてみると、耳鼻咽喉科の医師もびっくりして「え?」という感じ。お互いに「えっ」「えっ」となって、出鼻をくじかれた感じで、それだけで一気に疲弊してしまい、母も、もし物事を理解しているならばおそらく出鼻をくじかれた気持ちになり、一同、普段の診察のときと同じように家に帰ってきた。

 

手術をする前には血液検査や尿検査、レントゲンなどをやって、手術やその後の入院、気管に入れるカニューレの扱い方などを学ぶことなどについての説明を受けた上で、7月に入院+手術だそう。

デイサービスの介護士さん・看護師さんたちに電話をすると「私たちも、突然手術なのはおかしいとは思っていたがやはり……」という感じ。私はあまりにも出鼻をくじかれて疲弊していたので、話す気力もほとんどなく、ボソボソ声でやっとのことで報告した。

 

そして昨日は、耳鼻咽喉科で事前説明のため、私のみ病院へ。

しかしまたここでミスコミュニケーションが発覚。

本当は、本人を連れてこなければいけなかったそう。

再び、医師と私の間で「えっ」「えっ」という状況が発生、しかし、「言った/言わない」の言い合いをしても何も確かめようがないので医師も私もそのような会話はせず、医師から、「前回の検査で、尿に細菌感染が見られたので、もう一度検査をしないといけない」旨、「明日、本人を連れて来てください」という旨、告げられた。

しかも、朝9時半から。

数年間精神の調子が悪く、生まれつきの夜型がさらに酷くなっている(日内変動も酷い。朝から夕方くらいまでは、生きていたくない気持ちが強い)私にとっては大きな負担。午後の時間はやってないのか掛け合ったが、朝9時半の時間しかないとのこと。

肩を落とし、帰宅。

 

病院というものは、なぜ朝型人間専用のようなスケジュールしかないんだろうか。

まるで、朝型ではない人間や、日内変動で朝動けない人はただの怠け者だとでも言わんばかり。

介護する側も精神的身体的につらい。

しかも行きつくところが死しかない人間を介護している身としては尚更、もう嫌になってすべてを放棄してこちらが死んでしまいたくなる。

 

精神的・身体的に元気な時であれば、30kg台の母を持ち上げて車いすに移動させることは簡単なのだけど、今回は、もうその余力さえ残っていない。一番つらい朝という時間に、力仕事、かつ、母の布団⇔車いす間、車いす⇔車、車⇔病院の車いすの移動だけではなく、家から出る時の即席スロープ(介護用のやつ)の設置など、やることは多い。この時期は、モタモタしているとすぐに蚊も群がってくる。

考えただけでつらくて仕方がなくなった。

そこで、以前利用した「介護タクシー」を使うことにした。

痰が絡むことによる音と気管切開について

ついに気管切開に踏み切ることになった。

この処置がいずれ必要になるであろうことは病気が発覚したときに医師から説明を受けていたけど、気管切開という名前からずっとびびっていた。

でも、喉に痰が絡む問題が進行して、今では母が呼吸をするたびに日常的にこのような音がするようになってしまった。

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痰の絡み具合によって、この音が大きい時も小さい時もあるけど、基本的に鳴りっぱなし。本人も苦しそうだし、同居家族も気が狂いそうになる。

事前に医師に説明を受けた通り、頭が後ろに傾いているその角度が以前より明らかに酷くなってしまって、喉も見て分かるくらい、強張って、太くなってしまっている。痰が呑み込めないということと、筋肉の緊張が強くなっているという要因が合わさって、この音がどんどん強くなっているんだと思う。

吸引器も、喉の奥までは差し込めないし(看護師さんが訪問看護で処置してくれるときは、少し奥まで差し込んでくれるけど、素人にはそんなことできない)、吸引器で痰を取ろうとしてもまったく収穫がないときばかり。それどころか、吸引器の管を差し込んだことで母がむせてしまって却って悪化することもある。

そういうこともあって、気管切開に踏み切ることにした。

医師の説明によると、気管切開の処置をすれば、喉の奥の方にある痰などに直接アクセスできるので、詰まっている痰が簡単に取れるようになるかもしれない、とのこと。怖くてびびっていたけど、医師が「そんなに構えなくても大丈夫ですよ」と言ってくれたこともあり、本人もいい加減、呼吸がつらそうで、毎日生き地獄なのではないかと思って、処置を決めた。

これで、本人も呼吸が楽になり、音の問題も解決されるといいけれど、どうなるだろうか。

痰が絡みやすい問題の進行

間が空いてしまいましたが母は相変わらず、私も相変わらずです。

現在、母は栄養は胃ろうでの栄養、尿はカテーテルをつけて尿バッグに溜めて廃棄、便は看護師さんに摘便をしてもらっている。(摘便の技術はすごく難しそうなのに手際よく、汚れを最小限に抑えてやってくださっていて、汚れ物の処理もスムーズだし、本当に驚嘆する。)基本的に週3回ほど通うデイサービスか、週3回くらい来てくださる訪問看護かで、摘便をしてもらっている。

 

最近、母の喉に痰が絡みやすくゼイゼイいうことが増えてきたとのこと。首から頭にかけての硬縮も進んでいて、文字での説明が難しいのだが、頭を後ろに倒した状態、この角度で、母の首が固まってしまっている。医師によると、これも症状の一つで、進行するにつれてこの傾きがどんどん強くなっていくものらしい。

 

痰が絡んでゼイゼイと音がするのは、同じ部屋で聞いていると、気が狂いそうになる。父は同じ部屋で寝ているけれど、大丈夫なんだろうか。もともと父と私を比べると私の方がそういったものにストレスを受け易く、父は私に比べてそういったストレスには耐性があるみたいだけど。

 

痰が絡みやすい問題、次の段階としては、延命を望むのなら気管切開をして空気を取り込みやすくすることが必要だという話は、以前から聞いていた。

明日、母の今後の介護について、介護施設の方々とケアマネージャーの方と会議があるのだけど、そのことについて話すのだろうか。

 

本当に気が重い。すべてを捨てて逃げ出してしまいたい。