母が進行性核上性麻痺(仮)→大脳皮質基底核変性症(仮)になった

1960年生まれの母が突然難病を発症してからの記録

手術日フェイント

先日、気管切開に踏み切ることを報告する記事を書いたのだけど、

 

neurodegenerative-disease.hatenablog.com

 

神経内科の医師と相談して、手術実施日がこの日です、という意味だと思って病院に行った日は、なんと手術実施日でもなんでもなく、事前の診察+検査日だった。

担当は耳鼻咽喉科なのだけど、私と父親は「さあこれで、本人も呼吸が楽になるし、家族もガラガラ声に悩まされることがなくなる」と勇んで、診察室に入ったけど、どうにも「今日、手術します」という調子ではない。

おかしいなと思って聞いてみると、耳鼻咽喉科の医師もびっくりして「え?」という感じ。お互いに「えっ」「えっ」となって、出鼻をくじかれた感じで、それだけで一気に疲弊してしまい、母も、もし物事を理解しているならばおそらく出鼻をくじかれた気持ちになり、一同、普段の診察のときと同じように家に帰ってきた。

 

手術をする前には血液検査や尿検査、レントゲンなどをやって、手術やその後の入院、気管に入れるカニューレの扱い方などを学ぶことなどについての説明を受けた上で、7月に入院+手術だそう。

デイサービスの介護士さん・看護師さんたちに電話をすると「私たちも、突然手術なのはおかしいとは思っていたがやはり……」という感じ。私はあまりにも出鼻をくじかれて疲弊していたので、話す気力もほとんどなく、ボソボソ声でやっとのことで報告した。

 

そして昨日は、耳鼻咽喉科で事前説明のため、私のみ病院へ。

しかしまたここでミスコミュニケーションが発覚。

本当は、本人を連れてこなければいけなかったそう。

再び、医師と私の間で「えっ」「えっ」という状況が発生、しかし、「言った/言わない」の言い合いをしても何も確かめようがないので医師も私もそのような会話はせず、医師から、「前回の検査で、尿に細菌感染が見られたので、もう一度検査をしないといけない」旨、「明日、本人を連れて来てください」という旨、告げられた。

しかも、朝9時半から。

数年間精神の調子が悪く、生まれつきの夜型がさらに酷くなっている(日内変動も酷い。朝から夕方くらいまでは、生きていたくない気持ちが強い)私にとっては大きな負担。午後の時間はやってないのか掛け合ったが、朝9時半の時間しかないとのこと。

肩を落とし、帰宅。

 

病院というものは、なぜ朝型人間専用のようなスケジュールしかないんだろうか。

まるで、朝型ではない人間や、日内変動で朝動けない人はただの怠け者だとでも言わんばかり。

介護する側も精神的身体的につらい。

しかも行きつくところが死しかない人間を介護している身としては尚更、もう嫌になってすべてを放棄してこちらが死んでしまいたくなる。

 

精神的・身体的に元気な時であれば、30kg台の母を持ち上げて車いすに移動させることは簡単なのだけど、今回は、もうその余力さえ残っていない。一番つらい朝という時間に、力仕事、かつ、母の布団⇔車いす間、車いす⇔車、車⇔病院の車いすの移動だけではなく、家から出る時の即席スロープ(介護用のやつ)の設置など、やることは多い。この時期は、モタモタしているとすぐに蚊も群がってくる。

考えただけでつらくて仕方がなくなった。

そこで、以前利用した「介護タクシー」を使うことにした。