母が進行性核上性麻痺(仮)→大脳皮質基底核変性症(仮)になった

1960年生まれの母が突然難病を発症してからの記録

もう一度耳鼻咽喉科医と介護師に確認

気管切開について、父親が、「夜中に数時間おきに起きないといけなくなったらどうしようか」「知らない間に痰でいっぱいになってしまって死んでしまったらどうしようか」と心配し始めた。

いつもこうだ。後になってから騒ぎ始める。

でも、普段はほぼ全面的に母の世話をさせているし、夜中に数時間おきに起きるはめになったときに一番負担がかかるのが父親なので、私は何も言う資格はないし、その心配に付き合うしかない。

ということで、父親が耳鼻咽喉科の医師にもう一度予約を取り、介護施設の方たちとも話し合いの機会を設け、私は(なぜか)それに巻き込まれることになってしまった。

私はそこまで心配はしていなかった。母のゼイゼイ言っているのを10分でも聞いているだけでも気が狂いそうになるし、気管切開をすることで、痰が簡単に取れるようになるのなら母も苦しいのから解放される、かつ、医師も、うまくいかなかったら戻せばいいと言っていたので、やらない理由がないという気持ちではあった。そして、何かあったときに死んでしまったらというのは、もうそうなったら仕方がないことだし、あれだけ母と事実上離婚状態だった父親がなぜそこまで過保護に心配するのか、私には理解できない。

耳鼻咽喉科の医師と、介護施設の方々と話し合いをし(私は朝から巻き込まれ瀕死状態)、

・痰吸引は基本的に楽になる見込み
・痰吸引などの頻度は一度やってみないとなんとも言えないし、不具合が多くて塞ぐことになるかどうかも、個人差があるのでなんとも言えない。そのために術後2週間の入院期間を設けている
・夜中に気づいたら死んでいるということはまずないと思う

という感じだったので、安心した様子で、このまま手術に踏み切ることにした。

今日も、喉のガラガラの音が酷い。

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