母が進行性核上性麻痺(仮)→大脳皮質基底核変性症(仮)になった

1960年生まれの母が突然難病を発症してからの記録

要介護5になった

これは母の担当のケアマネージャーさんもびっくりなようで。たしかに母は生活に全面的な介助が必要なんだけど、半年前には要介護1だったのに、いきなり最高レベルの要介護5!?いろいろと制度が使えるようになるのはとてもありがたいことなんだけど。

 

母が身を寄せている父方の祖父母が、介護に疲れてきたと訴え始めたのはたぶん、2017年の11月頃。風呂、トイレ、着替え、食事の介助が必要になって、紙おむつも本格的に稼働し始めた頃、祖父母や父から、介護にだいぶ疲れているという話が出始めた。介護チームに加勢したいけど、私は東京で一人暮らし、フルタイムで働いている。何もできない、祖父母や父は疲弊していく一方…何かできることを、と思って、公的な介護サービスが使えることを調べ、そのために必要な申請があることを知り、東京から市役所に電話、介護サービスを取り扱っている地元の市の包括支援センターで母の名前を伝えて、父親に向かってもらう下準備を整えた。

 

私が困り果てて、焦った様子なのを感じた包括支援センターの方は、優しく親身になって対応してくれた。担当の人と時間が行き違いになって、昼休み以外の時間に電話がかかってきて、仕事の作業中なのにもかかわらず長電話になってしまって職場に迷惑をかけたことも。

 

でも、一刻も早く介護サービスを開始しないと、という焦りが一番に来ていた。仕事中断してしまってごめんなさい、中断するときに一言、どうしても重要な電話で長くなるって説明すべきだった。でも、仕事も手に付かないくらい、一人で焦って精神的に追い詰められていたし、そんなにうまく立ち回れずあの日は職場にも迷惑をかけて嫌な顔をされてしまった。そしてさらにダメージを負った

 

そうして、父親に市の包括支援センターに行ってもらって、市の係の人が母の状況を家まで見に来て、観察をして、持ち帰った報告の審議を経て、認められたのが「要介護1」の区分。

 

介護度は、要支援1,2、要介護1,2,3,4,5の段階で重度になっていく。そのとき認められた「要介護1」の介助の目安は、「排泄や入浴などに部分的な介助が必要な状態」。部分的な介助なんかじゃなく、入浴なんて全面的な介助が必要な状態だったので、この認定には少し不満があった。

認定の区分によって、介護施設を利用できる日数やサービス内容が変わってくる、というのはそのときに調べて分かっていたことだった。

 

この認定の目安というのは、

 

要支援1ー身の回りの世話の一部に何らかの支えが必要

要支援2ー複雑な動作に何らかの支えを必要とすることがある

要介護1ー身の回りの世話、複雑な動作に何らかの支えが必要、移動の動作に何らかの支えを必要とすることがある、問題行動や理解の低下がみられることがある

要介護2ー身の回りの世話、複雑な動作、移動の動作に何らかの支えが必要、排泄や食事に何らかの支えを必要とすることがある、問題行動や理解の低下がみられることがある

要介護3ー身の回りの世話、複雑な動作、排泄が自分ひとりでできない、移動の動作が自分でできないことがある、問題行動や理解の低下がみられることがある

要介護4ー身の回りの世話、複雑な動作、排泄がほとんどできない、移動の動作が自分ひとりではできない、多くの問題行動や全般的な理解の低下がみられることがある

要介護5ー身の回りの世話、複雑な動作、移動の動作、排泄や食事がほとんどできない、多くの問題行動や全般的な理解の低下がみられることがある

参考:

要支援、要介護の段階について|日本電気健康保険組合

 

その時の母の状態は、少なくとも要介護3くらいではあったと思う。

ネットで検索すると、家族が感じるよりも軽度の認定区分を割り当てられてしまうケースはよくあることらしい。まあ、介護サービスやレンタルなど利用の条件になるんだから、慎重になるのは当たり前か。

 

そんな要介護1の認定を受けた日から月日が少しだけ流れ、その少しの時間の割には大幅に区分が上がった「要介護5」の認定を今回受けることになった。

 

半年も経ってないのに要介護1→要介護5!!!

それだけ症状の進行も早い。

 

「排泄が自分ひとりでできない」と「ほとんどできない」の境目は本当にあいまいだと思うし、要介護5に挙げられてる状況は、確かに全部当てはまってる。母は移動しようとしても倒れたり、ただ立ってるだけで倒れたりするから、移動のときには必ず誰かがついていないといけないし。いつどの方向に倒れても全体重を支えられるような体勢でついていないといけないし。

f:id:thomasmovement:20180414222413j:plain