母が進行性核上性麻痺(仮)→大脳皮質基底核変性症(仮)になった

1960年生まれの母が突然難病を発症してからの記録

家族の住むところ

母が病気になる前

:東京で一人暮らし

:地元で実質一人暮らし、パート

父親:地元で母の家と祖父母の家を行き来

父方の祖父母:同じ市内に家

母方の祖母:同じ県内に一人暮らし

母の姉とその子供:同じ県内に家

母の姉の夫:イギリスの実家

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母が病気になった後

母がもともといた家:誰もいない

母、父親、父方の祖父母:父方の祖父母の家

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母は病気が深刻化する前、まだ自分で話し、考え、歩き、運転し、生活のすべてが支障なく行えていた頃、母方の祖母の家に頻繁に通っていた。

同じ県内といえども、片道車で1時間半ー2時間の道のりを1週間に2往復くらいしていたこともあった。

運転できなくなった後も、電車を使って片道2時間くらいかけて、通い続けていた。

父親とも別居状態、実質離婚状態だったし、母は自分の元々の家への帰属意識が強かったから、とにかく実家にいたかったのかもしれない。

まともに話し、考え、歩き、ができなくなって、一人暮らしの母方の祖母も体力的に母の面倒を見切れなくなってきて、母が駅での転落事故を起こしたあとは、父方の祖父母の家に住むことになった。