母が進行性核上性麻痺(仮)→大脳皮質基底核変性症(仮)になった

1960年生まれの母が突然難病を発症してからの記録

母の食事のことと私の拠点移動

1月に帰省したら、母の体重が31kgになっていたらしい。母の身長は161cm。

 

おば(バーディー)から、数ヶ月前に、ミキサーをプレゼントされていた。県内でも遠方に住んでいてフルタイムで働いているおばは、なかなか見舞いに来られないからせめて介護に役立つものを、とのことで、私がリクエストしたミキサーを買ってくれた。

駅のジューススタンドにあるようなでかいミキサーではなく、1-2人分のスムージーが作れるくらいの小さめサイズ。刃が2種類あって、スムージーはもちろん、食材の粉砕などもできる。

これを得てよろこんだ私は、早速いろいろ作ってみた。

・果物と牛乳を入れて混ぜるだけのスムージー

・ご飯とお湯を入れて混ぜるだけのおかゆもどき

・健常者の食事を一品ずつ砕いてみる

 

この、・健常者の食事を一品ずつ砕いてみる

方法はなかなか調子が良くて、母が食べられるものの幅が増えたし、味を変えずに提供できるし、母専用に食事を用意しなくてもよくなった。ものによってはお湯を少し加えたりして流動食感を増す。すき焼きのときは、生卵がちょうどいい働きをしてくれて、ツルッと飲み込めるおいしい流動食ができた。

なによりも、母が良く食べてくれるようになった。健常者の小食の人の1人前くらいは普通に食べる。

口や喉を思うように動かせないので(嚥下障害というらしい)、飲み込めなくて口の中に溜まっちゃうこともあるけど、お茶を飲ませたり、時間をおいたりすればまた食べられる。どうしても飲み込めないときは、プラスチックの容器を用意して、そこに出してもらう。

 

じいちゃんばあちゃんと父親も、喜んでくれた。いつもはなかなか飲み込みが悪くて、病院からもらってくる栄養ドリンク「エンシュア」1缶を飲みきるかどうかってところで食事を終えてしまうから、って。

 

もしかして、母の体重が落ち続けているのは、効果的に食事を食べさせてあげられてなかったせい?私が食べさせるときの量を毎日食べていれば、31kgまで落ちるはずがない。

そういえば、ミキサーも数ヶ月前に買ってもらったっきり、私が帰省して使うとき以外はしまい込んである。ばあちゃんに使い方を教えても覚えてくれている様子がない。

 

母は精神的に子供依存で、子離れできていなくて、子供一筋で生きてきた人だから、私が食事を作って食べさせてあげることで気持ち的にも食べやすくなるんだと思う。そして、それだけではなくて、ミキサーを活用できるか食事にバリエーションをつけられるかというところはとても大きい気がする。そういうことが、母の喉が上手く動いてくれるかどうかに無意識下で直結している。私はそう踏んでいる。

 

私が近くの薬局の介護コーナーでレトルトの流動食を見つけてきたり、栄養補助食品の溶かすタイプのココアやらスムージーやらを買ってきたり、いろいろしていることも功を奏しているみたい。食事のときに食べ物が上手く飲み込めなくて食事が不完全燃焼に終わっても、少し時間をあけてココアを飲ませるとゴクゴク飲んでくれる。少しでもカロリーを摂らせなければ。

 

そうして、やっぱり、私がついていてあげたいと思った。何年生きるか分からないけど、とりあえず私は拠点を実家に移すことにした。

 

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