母が進行性核上性麻痺(仮)→大脳皮質基底核変性症(仮)になった

1960年生まれの母が突然難病を発症してからの記録

母の死生観を探る手段がない(追記あり)

2017年の2月に私が母の異変に気づいて、1年と3カ月くらい。

母は今では、意思疎通がほぼできなくなってしまった。

人が話していることは聞いているし理解はしているみたいだけれど、母の方からアウトプットすることができない。表情は変えられないし、言葉はほぼ話せない。話すことといったら、人が何か話した文章の最後のフレーズを延々と繰り返すことくらい(「保続」というらしい)。はい/いいえの質問くらいしかできないし、母が保管しているはずの私の母子手帳の在り処(はしかワクチンの接種記録を調べようと思って…)も分からなくなってしまった。

 

この間試したのは、「はい、なら右手を挙げて。いいえ、なら左手を挙げて」という風に質問をして、母に手を挙げてもらうという方法。かなりの高確率で答えを引き出すことに成功した。手を挙げることができなくても、「右手、右手、右手、右手、右手、右手、右手、右手…」と言葉で答えてくれることもあった。

 

 

表題の件について、市の総合病院で検査をしてもらったかなり早めの段階(この時は、多系統委縮症の疑いが強かった)で、神経内科の医者からは、「このあと数年で車椅子、寝たきりと進行して、そのあと、胃ろうをするかどうか決断を迫られるときが来るかもしれない。窒息などが起こった場合は、救急車を呼んでも助からないかもしれない」という旨を私と父親に伝えられていた。

 

もし胃ろうをするかどうか迫られたとき、母ならどうしてほしいんだろう。今の時点でさえ、言葉は理解できても認知症状がかなり進行していて、物事をどの程度理解しているのかすら探ることができない。仮に今、母と意思疎通ができたとしても、胃ろうによる延命措置を望むかどうか、今の母の認知機能では判断できないかもしれない。

 

私が小さいころから、母は繰り返し繰り返し、「自分が死んだら、夫側の墓ではなく、私の実家側の墓に必ず入れてほしい」と言っていた。もう耳ダコなくらい言っていた。

その件については、父親に話して了解は取った。耳ダコだったのできっちりと遂行する。

でも、延命措置については?元気な時、「もしもこうなったら」という仮定で話を聞ける機会が一度でもあればよかった。

 

母の価値観だけではなくて、いろんなものの在り処や貯金関係、いろいろ情報を引き継いでおきたかった。

 

でも、後の祭りだ。どうしようもない。

f:id:thomasmovement:20180528004527j:plain

 

追記

もうひとつ、

母が健康な時から口を酸っぱくして言っていたのは「自殺は絶対にダメ」ということ。

親より先に死ぬことがあってはいけないのはもちろん、自殺は何があろうとも絶対にダメということだ。

別に母のこの言いつけがなくても私は簡単には死ななかっただろうけど、それでも、この言葉は絶大な影響力を私に及ぼしてきたとは思う。

自殺が絶対にダメなのは分かるが、そしたら、延命措置はどうなるのだろうか。

現代の最先端の医療で、命だけは繋ぎとめることができたとしても、ただそれだけ。生きているだけで認知症状も行きつくところまで行き、食事や排泄も器具に繋がれた状態のただの機械みたいになったとしたら?

最先端の医療で生きることだけはできる状況で、それをしないという選択をすることは、母の価値観で言うと自殺なのだろうか。

臓器提供意思カードとか持ってないかな。参考になるかもしれないし、母の財布の中をみんなで探してみようかな。