母が進行性核上性麻痺(仮)→大脳皮質基底核変性症(仮)になった

1960年生まれの母が突然難病を発症してからの記録

特定医療費受給者証の更新と障害者手帳の等級変更申請

先日、おばといとこが母の見舞いに来る機会があった。母の病気の発症から2年経つけれど、いとこは初面会。おばは既に3-4回見舞いに来ていた。

デイサービスにお邪魔させてもらって、個室で昼寝をしているところに入っていった。考えると、私はもう慣れたものだ。毎日母の介護をしてくださっている偉大なデイサービスのスタッフの皆様に挨拶をして、母の部屋に入って、顔の目の前まで近づいて、おばといとこが来たことを報告。(母は度数0.1を下回るド近眼なので、メガネがないと何も見えない)

 

私は、この日々にすっかり慣れてしまっているけど、いとこは相当ショックを受けたみたい。そりゃそうだ。面会させてショックでどうかなってしまわないか、心配したけど、本人も面会すると了承したし、まあ、若いから大丈夫だろうと判断した。

 

普段泣くことなんかないいとこも、おばも、改めて泣いていた。私は何もできないので、せめて部屋にあるトイレットペーパーを差し出していた。

そりゃそうだ。健常者とほぼ変わらないような状態から、いきなりこの状態だ。身動きが取れず、寝たきりで、腕も脚も曲がったまま動かせなくて、物も言わず、痩せてしまって静かに横たわっているんだから。

 

私は、自分の身の回りのこと(仕事や家事、他の活動)、母のことで忙しく活動しているのが却ってプラスに働いているんだと思う。落ち込んだり不必要に考え込んだりする余裕がないのは良いことだと思う。

 

 

 

今週は、表題の作業を2件。

 

特定医療費受給者証の更新期限が迫っているので、あらかじめ病院で頼んでおいた診断書と納税証明書やらの必要書類を持って、保健所へ。

医療機関にかかる度に記入してもらっている、医療費記録帳も一緒に持って行った。

これは月々の、母のこの病気に関係する医療機関での受診の額が2万円を超えた分は、払わなくていいよという制度。だから「特定」の「医療費」の「受給」だ。

これまでにかかっているのは、

 

ーこの病気の件で定期的に経過観察してもらっているかかりつけの総合病院

ー週一で来てもらっている訪問看護

ー胃瘻造設とその後のメンテをしてもらっている病院

ー胃ろう用の栄養剤を処方してもらっている近所の個人病院

 

なぜ総合病院一つで済まなかったのかというと、かかりつけの医師が週一の非常勤だったり、消化器官の部門が人手不足でパンクしていたり、いろいろ事情があったからだ。

 

保健所で書類を出して、母の病状の共有のための面談があった。

 

 

もう一つは、障害者手帳の等級変更の申請

現状、3級の等級をもらっているが、どこからどう見ても1級だろうということで、これも病院で診断書を頼んでおいたものを持って、市役所へ。

母の顔写真が必要なことを忘れていて、慌てて、携帯の履歴書写真アプリで撮影、コンビニで印刷した。

母が目を開けられるかどうかは運任せなのだけど、そんなに都合よく目を開けてくれるはずもなく、目を閉じたまま写真に撮って提出してしまった。「本人の意思で目が開けられないんです…」と必死に弁解をした。

 

従来なら、母を写真屋か証明写真ボックスまで連れて行って、顔の位置を合わせて…と四苦八苦しないと証明写真が撮れなかっただろうが、便利な時代になった。