母が進行性核上性麻痺(仮)→大脳皮質基底核変性症(仮)になった

1960年生まれの母が突然難病を発症してからの記録

延命治療

やはり、食べ物が飲み込めない症状が続いているので(嚥下障害というらしい)、鼻に管を通すか、胃ろうをするかした方がいい、とデイサービスから勧められた。

手術するならまだ栄養状態がいいうちにした方がいい、とは言われていたけど、まさかこんなに早く決断を迫られるなんて!

 

私自身は、自分がもしそうなったらそうやって人工的な延命措置はしなくていいと思っている派だけど(でもいざとなったら、もっと生きたいと思うんだろうな…)、母だったら、延命してほしいと思いそうな気がする。もともとそんな性格な気がする。

他に、

- まだ母に感情があること。表情は動かせなくなってしまったし、感情表現もできないけど、この間、伯母が面会に来た時、泣いていた

- 隣に身近な人が座ると、手を伸ばして、腕や手を触ってもにょもにょすること。

そんなことから、母はたぶん、身近な人たちとまだ一緒にいたいんだろうという推測をしている。

 

それぞれの手術や術後、そのあとの日常生活、さらにそのあとはどうなるのかについて調べたり、病院に行って聞いたりしないといけない。本人に痛みは出るのか、不快感はあるのか?

 

もう、なんか、東京にいる場合ではないんじゃなかろうか。

地元に帰っていろいろと調べまくり人に聞きまくり病院の診察やら紹介状やらを催促し、母の見舞いに来たいと言ってくれている人々を次々と招き入れないと間に合わない気がする。

人はいずれ死ぬけれど、できるだけのことをしたい。そうしないと、後悔すると思う。

 

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絵は、伯母が見舞いに来るときに見舞いの品を迷っていたので、珍味を持ってこないように注意する為に描いた絵