母が進行性核上性麻痺(仮)→大脳皮質基底核変性症(仮)になった

1960年生まれの母が突然難病を発症してからの記録

煽り運転に遭った話

厳罰化などで話題になっている煽り運転だけど、私にも、実は、被害に遭った経験がある。しかも、母を隣に乗せているときに。(だからここのブログに書くことにしたのだけれど。)

 

2017年の11月、発症と同じ年、母を紅葉の名所に連れて行くことになった。私は長らくペーパードライバーだったけれど、祖父が快く車の運転をさせてくれていたこともあり、初心者だけれども車の運転はできるというレベルだった。

往路は特に問題なく、目的地に到着。このころ母はゆっくりではあるし、転びやすくはあるけれどまだ歩ける状態。危なっかしいので、必ず横に立って、腕につかまってもらいながら散歩道や橋などをゆっくり歩いた。母は自分の歩行能力の危なっかしさを分かっていたのか、何度も何度も、しかし決して深刻ではないトーンで「段差があったら言ってよ、言ってよ、言ってよ」と繰り返していた。

この言葉からも分かるように、この頃には既に言葉の繰り返しの症状が出ていたし、健常者のような受け答えはできなくなっていた。こちらが話しても、反応するときもあるし、しないときもある。言葉も弱弱しいというか、フワフワしていた。

 

目も開いていたり開いていなかったり。自分の意志で開けられないと言っていた。段差が出てきたら教えてくれるように言っていたのも、このせいみたい。

 

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煽り運転に遭ったのは帰り。高速道路だった。その頃私は、煽り運転なんていうもの自体、知らなかった。教習所で習った覚えもないんだけど、ちゃんと教えてほしかった…

最初は、ただの居眠り運転か飲酒運転だと思った。フラフラ蛇行してたから。それで、詳しくは覚えてないけれど、いきなり急ブレーキを踏んで追突させそうにしたり(停止ぎりぎりの超低速)、また走り出したり。

ここまで来たらただの居眠り運転ではないはずなんだけど、悪意があってやっているということにまだ気づかず(煽り運転なんていうものを知らないのだから仕方ない)。必死に助手席の母に「どうしよう!?」とか「ナンバー覚えて!」とか言うんだけど、母は反応せず。人形を隣に乗せているのと何も変わらない。母がまったく頼りにならない怒り(八つ当たりなのだが)と何が起こっているのか分からないパニックでおかしくなっていた。

 

一通り大騒ぎした後、犯人の車は突然凄まじいスピードで去って行った。

 

煽り運転という犯罪行為の存在を知ったのは、家に帰った後。

昨今はニュースになっているから知名度は上がってきていると思うけど、この犯罪のことや、出会ってしまったときの対処法など、もっと徹底的に周知してほしい。あの時、私がこの犯罪のことをせめて知っていたら、もう少し冷静に対処したり、ナンバーを覚えたりする余裕があったかもしれない。

その後、本格的に地元に戻ってきてからは、家族共用で使っている車にドライブレコーダー(前後2カメラのもの)をつけたり、母と2人で乗らない(寝たきりになってしまったからそんな機会はないのだけど)など、徹底している。

そういえばあの時、運転していたのが軽自動車だったから、余計ターゲットになったのかもしれない。

 

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