母が進行性核上性麻痺(仮)→大脳皮質基底核変性症(仮)になった

1960年生まれの母が突然難病を発症してからの記録

夜になると喉が詰まる

母は夜になると喉が詰まる。健常者なら、無意識・意識的に飲み込めるつばが飲み込めなくて溜まるので、むせてしまう。

家庭でも使える小型の吸引機を購入したり(デイサービスからの勧めで、施設だけでなく家でもできるように購入。割引が使える)、医者で気管を広げる貼り薬を出してもらったりしている。

今日は、父親が夜勤のため代わりに母のところに滞在しているけど、やっぱり夜、むせ込みが酷い。呼吸が苦しそうだし、時々激しくむせ込む。

吸引機である程度口の中は掃除したけど、プロではないので、喉の奥の方までは吸引できない。そこに溜まっているみたい。

貼り薬が24時間経過していたので、それを貼り替えてとりあえず様子を見るしかない。父親によると、貼り薬は貼ってから少し経たないと効いてこないようなので、それまで少し待つしかない。

 

この間、訪問看護に来てもらっている看護師さんから、気管切開も考えた方がいい、みたいなことをチラッと聞いたのだけど、もうそうなるといよいよ延命措置で体中にいろいろ繋がっている状態というか。(今は胃ろう、尿のカテーテルが繋がっている。)

本人はどう思っているのか、それとも思考することができないのか、まったく分からない。

同じ病気でどの程度思考力があるのか、研究したデータなどはないんだろうか。

 

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唇を噛みしめてしまう癖と、咳止めの貼り薬・吸引機

●唇を嚙みしめてしまう癖

自分の意志で体のあらゆる部分が動かせず、飲み物を飲んだりすることもできない母だけど、それに加えて、身体の硬縮が進んでいる。上の前歯で下唇を噛みしめてしまうことも多々あって、そのせいで下唇に傷がついてしまう。

普段から、自分で唇を閉じたり開いたりできないので唇が乾燥して皮がめくれがちなのでリップクリームを塗っているけれど、下唇の傷はさすがにリップクリームだけでは治せないので、専用の薬を出してもらっている。

そういえば、歯並びも随分悪くなってしまった。歯並びはきれいな母だったけど、硬縮によっていつも変な方向に力が入っているからだと思う。歯磨きもしにくい。

 

●咳止めの貼り薬と吸引機の導入

上手く唾が呑み込めなくて、咳き込むことがある。夜中に咳き込むことも多いらしい。そこで、咳止めのための張り薬(喉を拡張する効果があるらしい)を出してもらっていたけれど、吸引機も導入した。素人でも使える簡単さで、チューブの先で、掃除機のように口内の汚れや唾などを吸引できる。終わったら水洗い。

デイサービスでは、専門のスタッフさんたちが、喉の方まで吸引をしてくれているが、自宅では素人のやることなので、口の中だけにしている。でも、口の中の唾を取るだけでも効果があるという話なので、気づいたらやるようにしている。

 

完全に口から飲んだり食べたりしなくなってからかなり経った。この間、自分だけ食事をするときにおいしそうな匂いがするのが申し訳なくて、その食事のタレを箸につけて、母の舌の上につけてみた。お茶は飲まそうとしたけど、うまく吸えずにまったく飲めなかった。

腕の内側の荒れ(?)

体が硬直してしまっている母。両腕はきつく折り畳まれていて、ゆっくり力をかけながらであっても、完全には腕を伸ばすことができない。

それで、右肘の内側が蒸れて、皮膚がめくれてしまったらしい。訪問看護の看護師さんによると、きっと痛いだろうと。

そこで、膝の内側の皮膚が極力くっつかないように、

・肘に筒状の伸縮性包帯のようなものを被せたり、

・薄型ゴム手袋を膨らませて風船状にして膝の内側に挟んだり、

・タオルを挟んだり

介護職員の方がいろいろと工夫してくれた。

 

おかげで段々と良くなり、皮膚は再生。

 

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写真の通り、まだ赤紫色だけど、快方に向かっているらしい。

胃ろうと口からの食事の関係 ~我が家の場合~

母は胃ろう造設手術後、胃ろうを運用し始めてかなり経つ。

 

胃ろう造設を決めるときに心配だったのが、「これをしたら、今後母は一切口から物を食べられなくなってしまうのだろうか!?」ということだった。母はどの程度認知能力や感情が残っているのか分からないけれど、それでも、自分がもしそうなることを想像すると、耐えられない。

医者に聞くと、「胃ろうを造設したからといって、口から物を食べてはいけないということではない」とのこと。とりあえず、安心した。それを聞いて、胃ろう造設に踏み切ろうと思った。

 

造設後いきなりはちょっと良くないということで、しばらく経ってから、デイサービスでは、スポーツドリンクを飲ませてくれるようになった。胃ろう造設前、飲み込みの力が落ちてきたときから続いているが、とろみ剤を溶かして飲ませる。

とろみ剤を使う理由は、液体そのままの状態だと、気道に入ったり飛び散ったりする可能性が高いかららしい。とろみがつけば、ある程度まとまって食道に流れていってくれるという。

 

デイサービスは分からないけれど、家で使っているのはこれ

www.kewpie.co.jp

 

注意点は、これを溶かしてすぐはあまりとろみがついていなくても、時間と共にとろみ感が増してくること。(数分経った状態が、その量が実現できるとろみレベル。)

だから、「あれ~なかなかとろみつかないなあ」と思ってドサドサ入れていると、数分後にすごいことになる。

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家では、お茶やスポーツドリンクを飲ませているけれど、いくらとろみ剤を使って、ツルッと食道に入っていくようにしても、やっぱり誤嚥のリスクはあるみたい。だから、口から飲み物や食べ物を入れるときは、本当に自己責任という感じらしい。

そもそも、胃ろう造設に踏み切ったのは誤嚥のリスクがあるからというのが一つの要因なので、当たり前といえば当たり前なのだが。

 

食べ物といっても、母はほとんど口を動かせなくなっているので、ゼリーとか、アイスとか、そういうものだけだけれど。(だから、伯母が見舞いに来るときは、ゼリーを持ってきてくれる。)

 

水分補給の面としては、胃ろうで流し込んでいる栄養剤「ラコール」とそれに続けて胃ろうから流し込んでいる医師指定の量の水で、一食分の栄養分+水分は補えるので、ベースの水分量はそれで補給できてしまうらしい。

それでも、硬縮が進んだ身体に熱がこもって汗をかいたり、寝ている間に認知症のばあちゃんがやってきて過剰に布団をかけてしまったり(これをいかに阻止するかということが課題になっている)、夏で暑かったり、そういうときは主に父親が、口から水分を飲ませてあげている。

ばあちゃんもデイサービスに行き始めることに その1

「行き始めることに」と言っても、かなり前から行き始めていて、こちらにはおそらくまだ書いていなかったということなのだけど、

今年の3月頃から、ばあちゃんも、母と同じデイサービスに通い始めた。母が週6日なのに対し、ばあちゃんは週2日。母は要介護5、ばあちゃんは要介護1


そもそも、ばあちゃんの認知症がその時期になって急速に悪化したことが発端だった。

元々、年相応の物忘れはあったけれど、この時期から、何度も何度も同じことを聞き返すようになっていたし、なんといっても、家の中を整理しているつもりで、物を移動させまくり、なくしまくる。そして、けんかっ早くなってしまった

 

・何度も同じことを聞き返す

私が東京から地元に戻ってきたのが2019年の2月、そこからかなり経つのに、

ゆみちゃんはいつ東京に戻るのかね?」と私や家族に頻繁に聞く。こっちに戻ってきたのだから東京へは戻らないと説明しても、しばらく経つとまた同じ質問をするので、説明している祖父や父親が疲れてきてしまった。

 

・いつも飲んでいる薬を管理できない、飲み忘れる

これはありがちな症状だと思う。

それにしても、通院している病院は、ばあちゃんに薬を出し過ぎていた睡眠導入剤に胃薬に、昔問題を起こした副甲状腺関係の薬に、便秘薬2種類に…軽く5種類はあった。(町医者で認知症の診断を受けてからは、認知症の治療薬と精神安定剤もこれに加わった。)さらに、ばあちゃんがそれを管理できていなかった

便秘薬は、投薬の副作用で便秘になった時のために処方してくれてたみたいで、病院は「しつこい便秘のときだけにしてください」と言って処方してたみたいだけど、ばあちゃんがそれを適切に飲めていなかった。毎日のように便秘薬を飲んでは、腹痛を訴えていた。そして、便秘薬のせいで腹痛が発生してるのに、それを体質のせいだと思い込んでいた。「私の親も腹が痛い痛いと言いながら死んでいった」「こういう体質の家系だ」と悲壮感漂うことをいつも言いながら。

 

・ありもしないことを勘違いか思い込み

母をデイサービスに送り出すときの服装や、持たせる着替えについて、ばあちゃんは前から「デイサービスの人に、派手な色の服を着せないように言われた」と繰り返し言っていた。ばあちゃん以外の私含む家族は半信半疑ながらも、「そんなことを本当に言われたとしたら、酷い話だ!」「カラフルな服こそ、母のトレードマークだったのに!」と憤りを感じていたが…
デイサービスの人に確認すると、そんなことは誰も指示していないという。むしろ、派手な色の服を着てきてくれた方が、場も明るくなるし、歓迎とのこと……

 

全部、ばあちゃんの勘違いだった。

いまだにこの勘違いは直っていない。

 

・家のものが勝手に移動される

昔から几帳面で、家の中は整理整頓、よく動き回る性格だったらしいけれど、それが認知症になって悪く働いてしまった。知らない間に、家のものがいろんなところに移動しまくる。印鑑など昔から場所が決まっているものは無事だけど、服など、複数の収納場所があるものがひどい。母の服がばあちゃんのタンスに入っていたり、その逆だったり、二階にある謎の箱の奥深くに古びた服と一緒に収納されていたり…母の服を供給しても、すぐに行方不明になってしまう。本人も、どこにしまったのか分からない。「○○どこにしまった?」と言うと、永遠に探し続ける。几帳面な性格もあって、自分でもストレスを感じているんだと思う。

対応として、絶対になくしてはいけないものは、ばあちゃんも気づかないようなところにしまい込んだり、隠したりしている。

 

・けんかっ早い・落ち込む

発端は、ばあちゃんが昔から習っている(今は引退)お茶と生け花の先生の展覧会があるということで、手伝いに行くということになったこと。じいちゃんは、ばあちゃんがこのような状態なので「体調悪くなってもよくないし、ちょっと考えたらどうだ」と言ったのだけど、それを悪く取ってしまった。「おじいさんは月一回友達を家に呼んで食事しているくせに、私には外に遊びに行くなと言う!」「お前みたいな年寄りは行くなと言う!」と言って、何かにつけてそれを持ち出して怒り狂う。「じいちゃんは本当は心配しているんだよ」と言ってその場はなだめても、じいちゃん自ら「それなら行ってくればいい」と言ってなだめても、あまり受け付けない。

また別の日にその件を思い出して、怒り始める。

全然関係ない話をしていても、脈絡なくその話を自分で持ち出してきては、怒り始める。

 

焦ったのは、怒ったばあちゃんが包丁を持ち出して「私はもう死ぬ!」と言ってじいちゃんを脅し始めた日があったこと。それもお茶とお花の展覧会の話が発端だった。

私が家に帰って作業をしていると、じいちゃんから電話がかかってきて、「おばあさんが包丁持ち出してるから、来てくれんか」という。ぶったまげた。

予想外に長くなってしまったのでその2に続きます。

 

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煽り運転に遭った話

厳罰化などで話題になっている煽り運転だけど、私にも、実は、被害に遭った経験がある。しかも、母を隣に乗せているときに。(だからここのブログに書くことにしたのだけれど。)

 

2017年の11月、発症と同じ年、母を紅葉の名所に連れて行くことになった。私は長らくペーパードライバーだったけれど、祖父が快く車の運転をさせてくれていたこともあり、初心者だけれども車の運転はできるというレベルだった。

往路は特に問題なく、目的地に到着。このころ母はゆっくりではあるし、転びやすくはあるけれどまだ歩ける状態。危なっかしいので、必ず横に立って、腕につかまってもらいながら散歩道や橋などをゆっくり歩いた。母は自分の歩行能力の危なっかしさを分かっていたのか、何度も何度も、しかし決して深刻ではないトーンで「段差があったら言ってよ、言ってよ、言ってよ」と繰り返していた。

この言葉からも分かるように、この頃には既に言葉の繰り返しの症状が出ていたし、健常者のような受け答えはできなくなっていた。こちらが話しても、反応するときもあるし、しないときもある。言葉も弱弱しいというか、フワフワしていた。

 

目も開いていたり開いていなかったり。自分の意志で開けられないと言っていた。段差が出てきたら教えてくれるように言っていたのも、このせいみたい。

 

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煽り運転に遭ったのは帰り。高速道路だった。その頃私は、煽り運転なんていうもの自体、知らなかった。教習所で習った覚えもないんだけど、ちゃんと教えてほしかった…

最初は、ただの居眠り運転か飲酒運転だと思った。フラフラ蛇行してたから。それで、詳しくは覚えてないけれど、いきなり急ブレーキを踏んで追突させそうにしたり(停止ぎりぎりの超低速)、また走り出したり。

ここまで来たらただの居眠り運転ではないはずなんだけど、悪意があってやっているということにまだ気づかず(煽り運転なんていうものを知らないのだから仕方ない)。必死に助手席の母に「どうしよう!?」とか「ナンバー覚えて!」とか言うんだけど、母は反応せず。人形を隣に乗せているのと何も変わらない。母がまったく頼りにならない怒り(八つ当たりなのだが)と何が起こっているのか分からないパニックでおかしくなっていた。

 

一通り大騒ぎした後、犯人の車は突然凄まじいスピードで去って行った。

 

煽り運転という犯罪行為の存在を知ったのは、家に帰った後。

昨今はニュースになっているから知名度は上がってきていると思うけど、この犯罪のことや、出会ってしまったときの対処法など、もっと徹底的に周知してほしい。あの時、私がこの犯罪のことをせめて知っていたら、もう少し冷静に対処したり、ナンバーを覚えたりする余裕があったかもしれない。

その後、本格的に地元に戻ってきてからは、家族共用で使っている車にドライブレコーダー(前後2カメラのもの)をつけたり、母と2人で乗らない(寝たきりになってしまったからそんな機会はないのだけど)など、徹底している。

そういえばあの時、運転していたのが軽自動車だったから、余計ターゲットになったのかもしれない。

 

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(追記あり)2017年11月の動画(食事と言葉の繰り返し)

追記:当初上手く動画が公開できていなかったようです。失礼しました。

動画を整理していたら、2017年11月に母の症状を撮った動画が出てきた。


母が進行性核上性麻痺(仮)→大脳皮質基底核変性症(仮)になった 2017年11月の記録


一度YouTubeにアップしないと動画が貼り付けられないのか…面倒くさい。

 

確かどこかでサンドイッチを買ってきて、家で食べているところ。

ぼかしを入れてみた(アプリを入手して四苦八苦)が

 

・髪の毛がボサボサなこと

・「よかったおいしくて」「よかった」「ふーん」の言葉を繰り返していること

・メガネがずり落ちていること

・表情がないこと

 

が分かると思う。

このときは普通の食品を食べることができているし、飲み物も飲めているし、トイレも一人で行けていた。風呂も入れていた(髪の毛ボサボサだけど)。

これが、問題なく旅行できていた2017年2月と同じ年だなんて信じられない。