母が進行性核上性麻痺(仮)→大脳皮質基底核変性症(仮)になった

1960年生まれの母が突然難病を発症してからの記録

母の会話能力

母がまったく喋れなくなった。たまに文脈と関係ない音を発することはできるけれど、意味のある単語を発することができない。ジェスチャーや手を挙げたりして伝えることもできなくなった。これによってコミュニケーションの方法が何もなくなってしまったということ。

 

数か月前までは、はい・いいえの質問をして、手を挙げてもらうことで意思疎通は図れたんだけど、今は、何を話しかけても、何の反応もなし。こっちの方を見てくれることもあるけれど、ずっと見つめてくるだけ。まれに、話しかけた言葉の語尾を繰り返し続けることはあるけどそれだけ。

こちらの言っていることは理解しているみたいだけど、どの程度なのか分からない。日常会話は理解できているけど、医師との会話内容は理解できているのか?自分の置かれている現状について医師が説明してることをどれだけ理解できているのか?理解できているのだとしたら、何か感じているのか?

高いレベルで理解しているけど、思った通りに体を動かせないだけかもしれない。本人の中ではそれをもどかしく感じているのか、本当に何も考えてないのかも分からない。

 

延命措置に関する価値観、大事なもののしまってある場所、聞いておきたかったけどもう後の祭りだ。言い訳にしかならないけど、すべてが早すぎた。

発症に気付いたのが2017年の2月。デイサービスに通い始めたのが2017年のクリスマス。発症から1年後にはまともに喋れなくなって、今、2018年の8月には会話能力がゼロになってしまった。

 

ぼやぼやと過ごしていた自分が憎い。

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