母が進行性核上性麻痺(仮)→大脳皮質基底核変性症(仮)になった

1960年生まれの母が突然難病を発症してからの記録

母の歩行能力と運び方

前回の帰省(8/10-13)で、母の体の持ち上げ方のコツがかなり分かってきた。

デイサービスの帰りに母を家の中に運び入れるとき、ふと、利き手を股の下に入れ、もう片方の手で首から肩を支えたら、簡単に持てた。

45kgあったのが35kgになってしまったから運びやすくなったんだろうけど。

 

母がほとんど歩けなくなってからは、父親や祖父が後ろから腕の下に手を入れて持ち上げ、ほぼ引きずりながら母を移動させていた。車に乗せるときは、玄関や庭の段差があって引きずれないので、もう1人が膝の下を抱えて運んでいた。

 

今では外出するときも車椅子だけど、場合によっては、おんぶで移動させた方がいい場合もある。車の後部座席から母を引っ張り出して、車椅子に下ろすのはかなり難しい。通っている総合病院では、降車場に係の人が待っていてくれて、慣れた手つきで車椅子に座らせてくれるのでほんとに助かってるけど。

 

発症時には普通だった母の歩行能力が1年半でまったくなくなってしまうなんて思わなかった。

2017年2月に異変に気付いたときは歩行能力に異変はなく(ただ、この時、私のアパートの階段で足を踏み外してスーツケースもろともに落ちたのは、バランス能力が弱ってきていたからなんだと思う)

2017年の夏には家の中でよく転ぶようになり

には介助がないと脚が前に出なくなり

には電車のホームから転落して

年末にはただ立っていることも難しくなってきて

2018年の初夏にはほとんど歩けなくなっていた

 

病院で進行性核上性麻痺の説明を受けた時は、3年で車椅子、5年で寝たきりが平均的な進行と言っていたけど、母の場合は明らかに早い

 

1989年に私が生まれて、母が私をおんぶし、

2000年にいとこが生まれて、私がいとこをおんぶし、

2018年には私が母をおんぶしているんだなぁと

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