母が進行性核上性麻痺(仮)→大脳皮質基底核変性症(仮)になった

1960年生まれの母が突然難病を発症してからの記録

障害者手帳と高速道路通行料金

障害者手帳を使うと、高速道路の料金が安くなるらしい。

 

市役所で、障害者手帳1人分につき、使う車を1台登録して、その車で高速道路を使う時に料金所で手帳を提示すると、すごくお得に高速道路を使える。

地元から高速道路を使って母を大学病院に連れて行ったときも、助かった。

 

家族としては2台車を持っていて、1台は父親の軽、もう1台はじいちゃんばあちゃんの普通車。

この普通車は、まだ買ってから1年も経っていない。かなり長い間(10年以上?乗り続けていた車があったんだけど、母の車椅子をより楽に収納できるように、ということで、じいちゃんばあちゃんがAquaという車に買い替えた。

私も運転することがあるけれど、でかい車体の感覚がなかなかつかめない。隣に誰か乗っていて指示を出してもらわないと、狭い道を通る時なんかは、左側にどれくらいの余裕があるのか分からなくてヒヤヒヤする。

 

父親はなぜか自分の軽を母の障害者手帳と紐付けていたんだけれど、(本当になぜ?)当然ながらじいちゃんばあちゃんの普通車を障害者手帳に紐づけた方が車椅子の収納や母の出し入れをし易くなると私が主張して、父親も、それはもっともだと納得したので、市役所に車の紐付けを変更してもらいにいった。

 

この病気は表情も硬くなってしまう病気なんだけど、障害者手帳に貼り付けてある母の写真は、発症前と別人のような顔をしている。目を見開いて、驚いたような顔をして固まっている。その写真を見るたびに私は残念な気持ちになる。

 

母が普通に喋っている夢をよく見る。「普通に喋れてるじゃん!治ってきてるんじゃない!?」と驚く夢。

 

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